ブログ説明

ひどい耳鳴りのためTRT療法を体験
その後、難聴は進行して、ほぼ聞こえず。でも耳鳴りだけは聞こえる(笑)
アブミ骨手術ができるということで、その体験談も書きます。

2025年12月30日火曜日

聴覚障害と夜行高速バス。静寂という特権と、隣り合わせの不便さ

 皆様は夜行高速バスをよく利用されますか? 私は、寝ている間に移動できる効率の良さから利用することがあります。もちろん飛行機が最も好きですが、バスも選択肢の一つです。

聴覚障害を持つ私にとって、夜行バスでの移動は独特の「環境」があります。

補聴器を外せば静かに寝られるけれど、トイレ休憩に気付けないのが難点ですね


どこでも静寂に浸れる「特権」

就寝時、私は補聴器を外します。充電のためでもありますが、一番の理由は紛失防止です。狭い車内で失くしてしまえば、それこそ悲劇ですから。

補聴器を外せば、私の耳は音を全く認識しなくなります。聞こえるのは慣れてしまった耳鳴りだけ。 実はこれ、一種の「特権」だと思っています。

耳栓をしなくても、補聴器を外すだけで、うるさい夜行バスだろうが飛行機だろうが、自宅の静かな寝室と全く同じ環境になります。どこでもスヤスヤと寝られるのは、この身体ならではの利点と言えるかもしれません。

常に付きまとう「緊張感」

しかし、音が聞こえないことは「情報の遮断」でもあります。車内アナウンスは一切聞こえません。

特に、早朝の途中バス停で降りる時はかなり気が張ります。通過してしまったら大変なことになるからです。スマートバンドの振動を目覚まし代わりに使って、周りに迷惑をかけずに起きる工夫はしていますが、「起きなければ」というプレッシャーで、案外寝られないことも多いのが実情です。

熟睡できるがゆえの欠点

また、あまりに静かに熟睡できてしまうため、途中のトイレ休憩にはまず気づけません。 そのため、必ず「トイレ付き」のバスを選ぶことが絶対条件になります。休憩に行けない不便さは、車両選びでカバーするしかありません。

安さがあるから、我慢できる

不便なことも多い夜行バスですが、身体障害者手帳による割引は非常にありがたいものです。 多くの路線で半額になり、東京〜大阪間なら5,000円ほどで移動できてしまいます。

この安さがあるからこそ、多少の不便やリスクも「仕方ない」と割り切って、我慢することができます。これからもスマートバンドなどの道具を駆使しながら、この「静かな移動手段」を活用していくつもりです。

聴覚障害者の夜行バス旅行、メリットとデメリット


2025年12月26日金曜日

アブミ骨手術、右耳を2回行った経過

私は「耳硬化症」という病気のため、これまでに右耳の「あぶみ骨手術」を2回受けました。1回目で思うような結果が出なかったため、再手術に踏み切ったという経緯です。

ネットでこの手術について調べると、「聴力の改善率は90%程度」という非常に高い数字をよく目にします。しかし、それはあくまで「伝音難聴」だけが原因の場合の話。

私の場合は「感音難聴」もそれなりに進んでいるため、最初から前提条件が違いました。補聴器が不要になるほどの劇的な改善は、最初から目標にはしていません。

再手術ということもあり、「良くなる確率は50%くらい」という見通しを納得した上で、手術に踏み切りました。

結果が良くなってなくても、それも想定内だから



「変わらない」という結果をどう捉えるか

結果として、2回の手術を経ても右耳の聴力は良くなりませんでした。

数字だけを見れば「失敗」に見えるかもしれませんが、私自身はそうは捉えていません。成功率が50%ということは、残りの50%は「良くならない」ということです。私はただ、想定の範囲内であった「良くならなかった方の半分」に入っただけ。そう解釈しています。

少なくとも、約1%の確率で発生すると言われる「グッシャー(Gusher)症候群」によって聴力を完全に失うような、明確なアクシデントが起きたわけではありません。それは一つの救いでもあります。


前向きに、次は左耳へ

耳硬化症は進行性の病気です。 たとえ聴力が上がらなかったとしても、手術によってこれ以上の進行を防ぐことができているのであれば、それだけでも「手術をした意味」は十分にあったと考えています。

悪いように考えても仕方がないですからね。

まずは右耳の2回の手術を終えた一つの区切りとして、この経過を受け止めています。実はまだ、手術をしていない左耳も控えています。

右耳の経験を踏まえつつ、次は左耳の手術に向き合っていく予定です。同じ病気で悩む方の参考になれば幸いです。

アブミ骨手術、右耳2回目までの経過



2025年12月25日木曜日

音が消えて気づいた「世界の輪郭」と、周りに合わせる努力の日々

私の耳が聞こえにくくなってから、しばらく経ちました。徐々に衰えてはいったものの、ある時ガクンと聴力が落ちた瞬間があり、その日を境に私の世界は一変しました。

そこで痛感したのは、**「この世の中は、音で気づくことを前提に作られている」**という事実です。

音が聞こえなくても頑張って生きる


自分の存在さえも「音」で確認していた

耳が悪くなってまず戸惑ったのは、自分自身の体の動きです。 服が擦れる音、どこかに手が触れる音、そして地面を叩く足音。私たちは無意識にそれらの音を聞くことで、自分の動きや歩調を確認しているのだと初めて気づきました。

音が聞こえなくなると、自分の体の感覚がどこか頼りなく、浮いているような気持ちになります。まるで自分が「忍者」にでもなったかのように、音もなく忍び足で歩いている感覚。自分の存在の輪郭までもが、音と共に消えてしまったかのようでした。

「普通」に歩くための、見えない努力

外を歩くときは、健聴者の方々が想像する以上に神経を研ぎ澄ませています。特に狭い生活道路は、私にとって戦場に近い緊張感があります。

最近のハイブリッド車やEVは本当に静かです。音を頼りにできない私にとって、彼らは背後から音もなく忍び寄る存在。だからこそ、私は**「あえて一方通行の道を、車と逆向きに歩く」**という工夫をしています。

前から来る車を目で確認し、相手の動きを予測する。 「普通に歩く」という当たり前の動作ひとつとっても、耳が聞こえる方と同じように安全に過ごすためには、こうした小さな、けれど欠かせない努力の積み重ねが必要なのです。

ルールとマナー、そして安全への願い

どれだけこちらが注意を払い、周りの流れに合わせようと努力していても、どうしても恐怖を感じることがあります。

特に最近目立つ「LUUP(電動キックボード)」には、強い憤りを感じることがあります。交通ルールを無視した走行、そして何より「気配」を感じさせない静かさで、すぐ横をすり抜けていく。 こちらがどれだけ周囲に気を配って「合わせよう」としていても、予測不能な動きをされると、防ぎようがないのです。

ひどいのになると接触した上に、謝るどころか悪態をつき罵声を浴びせるような人まで現れます。まあ幸いなことにその罵声には私の耳には届かないですけどね。

おわりに

音が消えた世界で生きることは、常に周囲の状況を読み解き、自分を適応させていくプロセスの連続です。

「周りに合わせるための努力」は、正直に言えば疲れることもあります。でも、そうして研ぎ澄まされた感覚で捉える世界も、また一つの現実です。

もし街中で、何度も後ろを振り返ったり、慎重に道を歩いている人を見かけたら、「見えないところで努力している誰か」がいるかもしれないと、心の片隅に留めておいてもらえたら幸いです。

耳が悪い人も結構苦労しています



2025年12月24日水曜日

【切実】補聴器をなくすということ。それは私にとって「音」を失うこと。

今日は、重度難聴の私にとって、日々の生活の中で最も恐れている「あるトラブル」についてお話ししたいと思います。

それは、補聴器を落とすこと、なくすこと、そして壊してしまうことです。

補聴器は必要不可欠なもの


「聞こえない」がもたらす情報からの遮断

私のように重度の難聴を抱えていると、補聴器がない世界は「必要な音がほぼ何も聞こえない」状態になります。単に音が遠くなるのではなく、社会や周囲の情報から切り離されてしまうような、そんな感覚です。

そのため、補聴器は私にとって単なる道具ではなく、生活を支える身体の一部、まさに「生活必需品」そのものなのです。

コンタクトレンズとの共通点と相違点

よく「補聴器をなくす不安」を説明するときに、コンタクトレンズに例えられることがあります。

コンタクトレンズを使っている方がレンズを落としたとき、視界がぼやける中で必死に床を這って探す姿を想像されるかもしれません。確かに「体の一部を失って困り果てる」という点ではよく似ています。

ただ、一つだけ大きな違いがあります。 それは、**「私には目が見えている」**ということです。

コンタクトの方は見えない中で手探りで探さなければなりませんが、私は目ははっきりと見えます。だから、物理的には見つけやすいはず……。ですが、実際の「探し方」の熱量は、おそらくコンタクトレンズを探すときよりも、ずっと凄まじいものになります。

「気合」の入り方が違う理由

なぜそこまで必死になるのか。それは、失うものの大きさが違うからです。

一般的に、ハードコンタクトレンズは1枚数万円ほどと言われています。それも十分高価なものですが、補聴器はその10倍以上の価格(数十万円)になることが珍しくありません。

高性能補聴器になると、両耳で、安いもので50万円、中間クラスで80万円、良いものは100万円を超えます。

もし紛失してしまったら、新しいものが手に入るまで、私は「音情報のない世界」で孤立して生活しなければならなくなります。なので、「高いから我慢しよう」なんて言っておられず、再購入は必須ですが、経済的なダメージは計り知れないくらい痛いです。

だからこそ、もし落としたことに気づいた瞬間、私の探し方は文字通り「マジ真剣」の気合が入ります。地面を凝視し、一歩一歩、心臓をバクバクさせながら探します。

なくした実体験は2度

 案外補聴器というのは落ちないものですが、これまでに2回落としたことがあります。

 1回目は、自転車に乗っていてマスクの位置を直したとき、マスクも耳にかけており補聴器も耳にかけているので、マスクの位置を直すのは天敵なんですよね。

 2回目は、ラスベガスの射撃場でレンタルのイヤーマフを外したとき。気がつけば補聴器の片方がありませんでした。自転車で落としたときはすぐに止まって必死になって今来た道を探し、20メートルぐらい後方で見つけることができました。射撃場のレンタルイヤーマフで無くした時は、射撃場の人によってレンタルイヤーマフを返却した箱の中のイヤーマフを全部ひっくり返す気で探しました。半分くらいのところで見つかりましたよ。

 どちらも心臓が凍るほど焦った気持ちがあります。皆さんも補聴器をなくさないように気をつけてくださいね。

補聴器をなくした2度の体験


おわりに

補聴器は、私たちが社会とつながるための大切な「架け橋」です。 高価で繊細なこの相棒を、これからも大切に扱っていかなければと、改めて自分に言い聞かせる毎日です。

2025年12月23日火曜日

音のない朝と、私の「命綱」について

 皆さんは毎朝、どのようにして目を覚ましていますか? 多くの方は、スマートフォンのアラーム音や、目覚まし時計の「ピピピ」という音で一日を始めるのではないでしょうか。

聴覚障害を持つ私にとって、朝の目覚めには少し特殊なハードルがあります。今日は、日常生活の中で「実は使えないもの」と、その不便さをどう補っているかについてお話ししようと思います。

ウェアラブルスマートバンドが目覚ましの命綱

枕元で鳴り響く音も、私には届かない

私は寝る時、補聴器を外します。物理的に耳のスイッチをオフにするような感覚で、周囲の音は一切聞こえなくなります。そのため、どんなに大きな音で鳴る目覚まし時計をセットしても、私を現実の世界へ引き戻してはくれません。

よく「振動タイプの目覚まし時計」という解決策が挙げられます。強力なバイブレーションで起こしてくれる機械ですが、これも意外と一筋縄ではいきません。枕の下に置いていても、寝返りを打って位置がずれてしまうと、もう効果がなくなってしまうからです。

腕に伝わる小さな振動が「命綱」

今の私にとって、本当の意味での目覚まし時計——いわば「命綱」となっているのは、スマートウォッチやリストバンドの振動機能です。

手首に直接巻き付いているので、寝相が悪くても場所がずれることはありません。この小さな振動だけが、唯一確実に私を朝へ連れ出してくれる手段です。

「もしも」に備える、ホテルでの習慣

ただ、どうしても拭えない不安もあります。それは「寝ている時の火災報知器」です。

特にビジネスホテルのシングルルームなどに一人で泊まっているとき。もし深夜に火災が起きて警報が鳴り響いても、補聴器を外している私には全く聞こえません。「きっと火事になったら逃げ遅れてしまうのだろうな」という不安が、常に頭の片隅にあります。

そのため、宿泊する際にはできる限りの自衛策として、**「可能な限り下層階のお部屋を」**とリクエストするようにしています。万が一の際、少しでも早く外へ避難できるようにとの思いからです。

寝ているときの工夫



音という情報が遮断された世界で、安全を確保しながら過ごすには工夫が欠かせません。「音」が前提の社会の中で、どうすればもっと安心して眠れるようになるのか。そんなことを考えながら、今日もリストバンドを腕に巻いて眠りにつきます。

この記事を通して、当たり前だと思われている「音」の役割について、少しでも想像を広げていただけたら嬉しいです。

2025年12月22日月曜日

宅配便さん、ごめんなさい。――「待っている」のに聞こえない、私の葛藤

 今日も玄関のドアを開けると、足元にハラリと落ちる一枚の紙。 おなじみの「不在連絡票」です。

時刻を確認すると、つい30分前。 その時、私はリビングで本を読んでいました。 ちゃんと起きていたし、家の中で活動していた時間です。

負い目を感じる必要はないのかもしれませんが、聴覚障害があるため、静かな部屋の中で鳴り響いているはずの「ピンポーン」という音が、私の世界には届かないのです。

聴覚障害者は、通販の受け取りに結構困ってます


「できること」は全部やっているけれど

もちろん、何の対策もしていないわけではありません。 コンビニ受け取りや、PUDOステーションなどの宅配ロッカーが選べる時は、必ずそちらを指定します。クロネコメンバーズなどのサービスで事前に配達予定が分かれば、その時間はインターホン付近で神経を研ぎ澄ませたり、手元の通知をこまめにチェックしたりしています。

けれど、世の中のすべての荷物が「置き配」や「ロッカー受け取り」に対応しているわけではありません。 発送元が指定を許していなかったり、代金引換や貴重品、あるいはサイズの問題で、どうしても「対面での受け取り」が避けられない場合があります。

「この時間に届く」と分かっていても、ふとした瞬間に視線を外してしまったり、家事をしていて手元の振動に気づかなかったり。 そうしてドアを開けた瞬間に不在票を見つけると、胸がキュッとなります。

あの「暴言不在票」に感じたこと

以前、ネットで悲しいニュースが話題になりました。 耳の聞こえない方の家の不在票に、配達員が「ツ●ボだから不在(※実際は伏せ字なし)」と心ない言葉を書き残したという事件です。

もちろん、差別的な言葉は許されることではありません。 でも、私はそのニュースを見た時、怒りよりも先に「配達員さんの気持ちも、分からないではないな……」と思ってしまったのです。

重い荷物を抱えて、階段を上がって、チャイムを鳴らして。 「家の中に気配はするのに、何度鳴らしても出てこない」 そんな状況が続けば、人間だもの、イライラしてしまうこともあるでしょう。 その苛立ちをぶつけさせてしまうほど、私は彼らの仕事を邪魔してしまっているのではないか。 そう思うと、申し訳なさが募ります。

ただ聴覚障害者も悪気はないのですよ。だって自分が注文したものだから、自分自身が早く受け取りたいと思うじゃないですか。わざと居留守を使っているわけではないのですよ。

「居るのに出ていけない」ことが、一番申し訳ない

結局、問題は「居留守だと思われること」ではないのかもしれません。 むしろ、「家にいるのが分かっているのに、届いたことに気づけない」ことこそが、お互いにとって一番のストレスなんだと感じます。

「電気もついている、物音もする。それなのに、なぜ出てこないのか?」 そう思わせてしまうのが、本当に心苦しいのです。 わざと無視しているわけではない、あなたを待っていた。 でも、どれだけ意識していても、「音」という唯一の通知手段が私には届かない。

宅配業界の皆さんが、日々どれほど過酷な労働環境で働いているかは理解しているつもりです。 だからこそ、この「気づけない」という物理的な壁が、もどかしくて、申し訳なくてたまりません。

発送元にも考えてほしいこと

正直なところ、発送元で配達日時がしっかり指定できれば、こうしたすれ違いのほとんどは防げるはずです。 お店側にとっては手間のかかる作業かもしれませんが、それも商売の一部ではないでしょうか。届く時間がわかっていれば、私もそれなりの準備をして待つことができます。

最近では、あまりに日時指定が不自由な店だと「ここでは買うのをやめようかな」と自衛策を考えることさえあります。

「発送元、配達員、受け取り手」。 この三者のバランスがもっとうまく取れて、誰にとっても負担のない受け取り方が当たり前になればいいな。 そんなことを願いながら、今日も私は再配達の依頼ボタンを申し訳ない気持ちで押しています。

宅配便の配達員さん、いつも本当にありがとうございます。 そして、今日も気づけなくて、本当にごめんなさい。


家に居るけど気付けない、配達。私だって受け取りたい


2025年12月21日日曜日

補聴器を外せば「静寂」が訪れる、という誤解について

 「耳が聞こえにくいなら、補聴器を外せば静かになってぐっすり眠れるんでしょ?」

時々、そんな風に聞かれることがあります。 確かに、外からの音を遮断するという意味では、そう思うのも無理はありません。

でも、現実に訪れるのは、そんな穏やかな世界ではありません。 私の耳から補聴器を外した瞬間に広がるのは、「草原のような穏やかな静けさ」ではないのです。

重度難聴な人って、補聴器外しても静かじゃないんですよ


耳の中の「ジェット機」と「鉄道の高架下」

補聴器を外した私の世界は、静かどころか、むしろ「激しい騒音」に包まれています。

いわゆる「耳鳴り」なのですが、その音量は想像を絶するものです。 例えるなら、鉄道の高架下に立っているような、あるいはジェット機のエンジン音が間近で鳴り響いているような、そんな凄まじい爆音です。

そこに「工事現場の杭打機のような音」のような響きがガンガンと加わります。 何も聞こえないのではなく、耳の中だけで鳴り続ける止まない嵐。それが、補聴器を使っていないときの私の日常の正体です。

騒音の中でも、何とか外の音を聴くために

そんな騒音だらけの世界の中でも、何とか外の音を聴くために、私は補聴器をつけます。

補聴器をつけるとどうなるか。 耳の中の騒音が消えるわけではありません。

補聴器を通して入ってくる「外の音」が、耳の中で鳴り響く「内なる騒音」に打ち勝つことで、ようやく私の元に届くのです。 正確には、内側の音に負けないくらいの音量で、外の世界の音(人の声や街の音)を届けてくれている。そんな感覚です。

皮肉な話ですが、補聴器をつけて初めて、私は内側の激しい騒音の中で戦いながら、なんとか外の音を識別し、世界とつながることができるのです。

誰にも見えない「音の戦い」

「補聴器を外すと何も聞こえないんだから、静かでいいね」

そんな風に言われるような環境でも、私の頭の中では常に激しい音の戦いが行われています。

もし、あなたの周りに難聴の方がいて、ふと疲れた表情をしていたら。 それはもしかしたら、外からの音を聴く努力だけでなく、内側の激しい騒音と戦い続けているからかもしれません。

「聞こえない」ということは「静か」と同義ではない。 この少し不思議で、けれど切実な私の日常が、誰かの理解のきっかけになれば嬉しいです。


補聴器を外しても「静か」じゃないのよ


2025年12月20日土曜日

駅のアナウンスマラソン、スタートし損ねた私。

 日本の鉄道は運行時刻が正確ですが、それでもたまに遅延は発生します。大きな駅では、放送一つで大勢の人が一斉に動き出す「民族大移動」のような光景が日常茶飯事です。

鉄道の遅延情報は、空港の丁寧な案内とは違います。放送すればそれっきり。基本的には音声のみで、わざわざ文字情報がセットで流れることはありません。このあたりは、もう「諦めるしかない」と割り切っています。

駅の構内放送マラソンと私


駅構内でマラソンか? 一斉スタート?

今日も、私が向かおうとするホームを目指して、大勢の人が一斉に走り出しました。まるでマラソンのスタートです。今日は皆さん、かなり気合が入っています。そういえば相変わらず、私には聞き取ることのできない構内放送が「モゴモゴ」と響いていました。放送が聞こえないこと自体はもう気にも留めていませんが、このマラソンの行き先が自分の乗るホームだったことだけは、少し気がかりでした。

行き着く先には・・・

ホームに辿り着いてようやく判明したのは、向かいのホームで「接続待ち」をしている電車へ人々がなだれ込んでいた、だけ。私が乗るのは反対向きのローカル線。必死に走る必要なんてどこにもありませんでした。いやぁ、つられて走らなくて良かったです。

安いんだから文句言っちゃだめだよねぇ

鉄道は、ほぼ構内放送だけなんだよねぇ

結局のところ、鉄道は飛行機よりもずっと身近で、何より「安い」乗り物です。一回あたりの利用額が低い私たちに対して、いちいちコストをかけて文字情報まで用意してほしい、なんて贅沢を言っても仕方がありません。

「高いチケット代を払う飛行機ならいざ知らず、安い電車なんだから、これくらいの不便(情報格差)はセットで付いてくるものなんだよね」

そんな風に、価格相応の不自由さをまるっと飲み込んで、静かなローカル線に揺られることにしました。

そーいえば、鉄道って障害者割引も少ないですけどねぇ。

2025年12月19日金曜日

見えない障害と「虫」の境界線?——聴覚障害者の独り言

 こんにちは。 今日は、ふと思った「目に見える不自由」と「目に見えない不自由」の違いについて、少し綴ってみたいと思います。

見えないものは忘れられ易い。自己主張はこのときだけ


「見えないもの」は忘れ去られる

例えば、松葉杖をついている人が目の前にいたら、誰だって「あ、足が不自由なんだな」とすぐに分かりますよね。よほど意地悪な人でもない限り、自然と道を譲ったり、ドアを開けたりといった「いたわり」の行動が生まれます。それは、不自由さが常に視覚に入っているからです。

ところが、聴覚障害はそうはいきません。 黙っていれば、周りが気づくことはまずありません。

特に私のように、普通に話し、会議をこなし、プレゼンまで大好きなタイプだと、相手は私が「聞こえにくい」という事実を、ものの数分で忘れてしまいます。

質疑応答は、いつだって真剣勝負

プレゼンが終われば、容赦ない質問の嵐が飛んできます。 私は相手の応答を聞き取るために、普通の人の3倍近いエネルギーを注いで集中します。必死に言葉を拾い、きっちりと言葉を返す。

そうやってスムーズにやり取りが続いてしまうからこそ、相手はますます「この人は聞こえているんだ」と誤解(?)し、さらに容赦ないスピードで言葉をぶつけてくる……というループに陥ります。

私くらいの「強者」になれば、 「聴覚障害者なんだから、もうちょっと優しくしてくださいよ〜」 なんて冗談めかして言えちゃいますが、これが言えずに一人で抱え込んでしまう人は、きっと相当しんどいだろうな、と思うのです。

熊、昆虫、そして「聞こえない私」

人間って、結局「目に見えるもの」に対しては優しくなれるけれど、見えなくなった途端に意識の外へ追いやってしまう生き物なのかもしれません。

極端な話、環境保護だってそうです。

  • 熊: デカくて見えるから「保護しよう!」となる。

  • 昆虫: 小さくなると、保護する気が失せてくる。

  • 蚊や例の黒い害虫: 見えたら最後、駆除・絶滅の対象。

  • ウイルス: もはや見えないので、徹底的に排除したい。

「目に見えるかどうか」が、人間の判断基準にこれほど影響しているとしたら……。 常に認識してもらえる車椅子や松葉杖に比べて、忘れ去られがちな聴覚障害は、このヒエラルキーでいうと「虫以下」の位置にいるのかもしれません(笑)。

見えないものは忘れられやすいのが現実


それでも、ちゃっかり生きる

かといって、「私は耳が不自由なんです!」と常にアピールして優しさを引き出すのも、なんだか図々しい気がして、普段は黙っています。

あ、でも、一つだけ例外が。 バスに乗る時だけは、サッと「障害者手帳」を提示します。

だって、運賃が半額になりますからね。 目に見えない不自由さを抱えている分、使えるメリットはちゃっかり使う。 「マネー」はいつだって大切ですから!

2025年12月18日木曜日

【経過報告】アブミ骨手術・第2ラウンド!2回目の手術から5ヶ月後まで

こんにちは。 今回は、2025年7月に行った「右耳・2回目」のアブミ骨手術について、その後の経過をシェアしたいと思います。ちょっと長くなりますが、これから手術を考えている方や、同じ悩みを持つ方の参考になれば嬉しいです!

2回目の手術から5ヶ月後まで


手術は「寝ている間」に終了!…でも意外な伏兵が?

今回も前回同様、前日から5日間の入院コースでした。 手術自体は全身麻酔なので、文字通り「寝ているだけ」で終わります。耳の痛みやめまいも特になく、経過はとってもスムーズ。

ただ、想定外だったのが手術後の「尿道カテーテル」です。これによる痛みが2日間ほど続き、今回一番の試練は耳ではなく、まさかの「そこ」でした(笑)。

先生の神対応と、綿を抜いた瞬間の感動

今回、主治医の先生が交代されたのですが、とてもベテランの頼もしい方でした。 「アブミ骨の基礎をレーザーで整え、骨の隙間もベストな形に再形成しました」とのことで、術後の説明もバッチリ。

そして退院から1週間後。耳に詰めていた綿を抜く「運命の瞬間」がやってきます。 抜いた直後から、「あ、明らかに音が大きい!」と実感。補聴器の調整でも音量を10デシベル下げることができ、数字以上の大きな進歩を感じて「おお、これぞ成功だ!」とめっちゃ嬉しかったです。

ストレスは「聞こえ」の天敵

ところが……世の中そう甘くはありません。 術後の3ヶ月間、仕事が「ストレスMAX」な状態に。すると、せっかく改善した聴力が、自分でも自覚できるほど急落してしまったのです。

5ヶ月後の検診では、右耳の聴力損失が90デシベルを超えていました。「2回の手術をしたけれど、実態としてはあまり改善していない」「元の木阿弥」という、ちょっぴり残念な結果に。 お医者様も「なぜこんなに……」と首を傾げていましたが、心の中では「いやぁ、あのストレスMAXのお仕事でしたからね、もう労災だね」と確信しています(笑)。

障害等級と「聞こえ」のリアル

ここで少し、聴力と等級のお話を。 私の現在の「4級」は、補聴器を使ってなんとかコミュニケーションが取れるギリギリのラインで、日常生活にも不便を感じます。

聞こえない右耳の「聴力損失90デシベル」とは、補聴器を使っても音が情報として入ってきません。音があるかないか、やっとわかる程度です。両耳がこの状態になると「身体障害者3級」になりますが、そうなると補聴器を使ってもほぼ聞こえず、生活はかなり厳しくなります。

よく、80代くらいの方が「耳が遠くなった」とおっしゃいますが、その多くは30デシベル程度の損失です。私は補聴器をフルパワーで使って、ようやくその方々と同じレベル。「聞こえる」ことの懐かしさを、しみじみと感じることもあります。

目指せ、トータル3回目の手術!

右耳の結果を受けて、先生からは「左耳の手術を勧めるのは難しいかも……」というお話もありました。でも、耳硬化症は進行性の病気。放置すれば悪くなる一方です。

それなら、やってみる価値はあるはず! 「悪くても現状維持、良ければラッキー。期待値はプラスだ」とポジティブに捉え、左耳の手術もお願いすることにしました。先生も私のこの前向きな姿勢に、少し驚きつつ感心してくれました。

アブミ骨手術、2回目の手術から5ヶ月後まで


次回、6月に決戦!

手術の予約はなんと8ヶ月先まで満杯でしたが、先生が調整してくださり、来年6月に「トータル3回目(左耳は初)」の手術が決まりました。

術後の約2週間は、今よりもさらに聞こえない「静寂の期間」を体験することになりそうですが、それもまた貴重な経験だと思って楽しんで(?)みようと思います。 「悪く考えても、何も改善しないもんね!」

今後の経過もお楽しみに。


2025年12月17日水曜日

【5コマ漫画】聞こえないってこういうこと。補聴器ユーザーが「実は困っている」5つの瞬間

 今日は、以前作成したキャラクターを使って、私の日常にある「聴覚障害(補聴器ユーザー)あるある」を5コマ漫画にしてみました。 一見普通に生活しているように見えても、実はこんなシチュエーションで困っているんです。

まずは、AIに描いてもらったこちらの漫画をご覧ください。

難聴の私が嫌う5大シュチュエーション



漫画で描いた「苦手なもの」ワースト5

この漫画を描くにあたって、私が特に「これが辛い!」と感じている5つの場面をピックアップしました。

1. 公衆浴場、ビーチ、プール

理由:補聴器を外さなきゃいけないから 水場では補聴器が故障する原因になるため、どうしても外さなければなりません。外した瞬間、そこは「無音の世界」。周りの楽しそうな笑い声も聞こえなくなり、自分だけ切り離されたような孤独感を感じてしまう場所でもあります。

2. 大きな部屋での会議

理由:話者が遠くなるので聞こえにくいから 広い会議室は音が拡散してしまいます。話している人との距離が遠くなると、補聴器をしていても声がぼやけてしまい、内容を聞き取るのが非常に困難になります。マイクの使用をお願いしたいです。

3. ひそひそ話、内緒話をする人

理由:声の音量を下げるから聞こえません 「ここだけの話…」と声を潜められると、単純に音量が下がるため、私の耳には届かなくなります。内緒話を共有できないのは、ちょっと寂しいものです。

4. 高級レストランなど

理由:マナーとして声を絞るため聞こえません 雰囲気の良いお店ほど、静かに話すのがマナーですよね。その「上品な話し声」が、実は一番の天敵。ガヤガヤした居酒屋も大変ですが、静寂の中でのボソボソ声もまた、聞き取りを阻む壁なのです。

5. 要点をまとめずに長々と喋る人

理由:集中力の限界 これが一番の悩みかもしれません。 聞こえにくい音を脳内で補完しながら聞く作業は、ものすごい集中力を使います。ダラダラと長い話をされると、聞いているだけで脳が疲弊してしまうのです。


【補足】誤解しないでほしい「2つのこと」

苦手な場面を紹介しましたが、ここで少し補足させてください。「静かな場所」や「長い話」がすべてダメなわけではないんです。

① 図書館は大好きです 「高級レストランが苦手なら、図書館もダメなの?」と思われるかもしれませんが、図書館は全く苦になりません。 なぜなら、そこは「話をしない場所」だから。人の話を聞き取る必要がない静寂は、むしろ心安らぐ空間です。私が困るのは「静かな環境で、小さな声を聞き取らなければならない時」なのです。

② 「聞き流していい話」なら長くても平気 長話がすべて苦手なわけではありません。雑談や世間話など、「へー、そうなんだ」と聞き流して良い内容なら、いくら長くても大丈夫。 聞こえない部分は適当にスルーすることには慣れています(笑)。

本当に大変なのは、「真剣に聞かなくてはいけないこと(仕事の指示など)」を、要点を得ずに長々と喋られること。 一言一句漏らさず聞き取ろうと神経を研ぎ澄ませている時に、ゴールが見えない話をされると、あっという間にHP(集中力)がゼロになってしまいます。


難聴な人が苦手なことまとめ


【結び】
もし、あなたの周りに補聴器を使っている人がいて、会議や食事の席で難しそうな顔をしていたら、「あ、いま集中して音を拾おうと頑張っているんだな」と思い出してもらえると嬉しいです。


2025年12月16日火曜日

空港で「ポツン」と一人ぼっち。笑えるようで笑えない、ある「見えない壁」のお話です。

 旅行や出張で空港に行くこと、ありますよね。搭乗ゲート前のあの待ち時間。これから始まる旅へのワクワク感と、手持ち無沙汰な退屈さが入り混じる、独特の空間です。

そんな日常のひとコマを切り取って、少し風刺の効いた4コマ漫画を作ってみました。テーマは「搭乗口の変更」。よくあるトラブルですが、少し視点を変えてみると、普段は見過ごしがちな「壁」が見えてくるかもしれません。

まずは、こちらの漫画をご覧ください。

空港で民族大移動? 放送が聞こえず置いてけぼり

いかがでしたか?

主人公は余裕の表情でスマホを見てリラックスしていたのに、ふと気づけば広い待合室にポツンと一人。まるで異世界に転移してしまったかのような孤立感。「えっ!? 誰もいない!?」というあの焦りは、想像するだけでヒヤッとしてしまいます。

原因はシンプル。「搭乗口変更のアナウンス」を聞き逃したことですね。

空港のスピーカーって、どうしても音がこもっていたり、割れていたりすることが多い気がしませんか? 「ピンポンパンポーン」というチャイムの音は聞こえるのに、肝心の内容が周囲の雑踏にかき消されて「ザザッ…ピー…ゴニョゴニョ…」としか認識できない。これ、誰にでも経験があることではないでしょうか。

さて、ここで少しだけ想像力を働かせてみてください。もし、この場にいたのが、耳の聞こえに何らかの不自由さを感じている「難聴」の方だったら、どうでしょう。

難聴というと「音が全く聞こえない」状態をイメージされることが多いのですが、実際はそう単純ではありません。「音は聞こえているけれど、何を言っているのか言葉としてハッキリ聞き取れない」というケースがとても多いのです。

特に、機械を通した声や、ガヤガヤとした騒音の中でのアナウンスは、聞き取りのハードルがエベレスト級に跳ね上がります。補聴器をつけていたとしても、全ての雑音をきれいに取り除いてくれるわけではないんですよね。

漫画の2コマ目、周囲の人たちが民族大移動かのごとく一斉に動き出したあの瞬間。音声情報が入りづらい人にとって、周囲の視覚的な変化はとても重要な「状況判断のヒント」になります。「あれ、何? みんな急に立ち上がって、どうしたの?」とキョロキョロ周りを観察して状況をつかもうとしている間に、決定的なタイミングを逃してしまう。

この「情報の波から、自分一人だけ取り残されていく恐怖と焦燥感」は、当事者以外にはなかなか伝わりにくいものがあります。

そして、極めつけは4コマ目のオチです。

慌ててカウンターに向かった先で目にしたのは、今まさに係員さんがホワイトボードに「変更先」を書き込んでいる姿。

「それを書くのは…みんなが居なくなった後なのね…」

主人公の心の声が、すべてを物語っていますよね。日本の多くの公共空間では、いまだに「音声案内」がメインで、「文字などの視覚情報」は補助的な扱いになりがちです。「耳で聞くこと」を前提としたシステムの中では、どうしてもそこからこぼれ落ちてしまう人がいるのが現実です。

もちろん、係員さんに悪気があるわけではないでしょう。もっとも手軽にかつ迅速にできる情報伝達の手段が「声」だと思いますから。

音声アナウンスと同時に、手元のスマホに通知が来たり、もっと目立つモニターに大きな文字で表示されたりする。というのは理想過ぎて、文字表示の準備のために大多数の人への音声による伝達を遅くするのはナンセンスでしょう。でも、視覚など音声以外の情報伝達が、あまりに遅れてしまうことがなければそれでいい、そんな「当たり前の配慮」があれば、救われる冷や汗や孤独感も多いはずです。

漫画を見て「あるある!」とクスッと笑っていただきつつ、その裏側にある「見えないハードル」について、ほんの少しだけ思いを寄せていただけたら嬉しいです。

視覚情報も提供して・・・無茶な理想だけど



2025年12月15日月曜日

【4コマ漫画】オフィスに潜む「見えない壁」―補聴器ユーザーと固定電話の葛藤について

現代のオフィス環境において、電話対応は依然として基本的な業務スキルのひとつと見なされています。しかし、多くの人が無意識に行っている「受話器を取って耳に当てる」という動作が、聴覚に課題を抱える当事者、特に補聴器ユーザーにとっては、極めて高度な技術的・心理的ハードルとなっている現状があります。

今回は、一人の会社員の視点を通して描かれた4コマ漫画をもとに、オフィス内に存在する「見えない障壁」について考察します。

聴覚障害者の電話の苦悩


構造的なミスマッチ:マイク位置のジレンマ

まず特筆すべきは、物理的なインターフェースの問題です。漫画内でも象徴的に描かれている通り、一般的な耳掛け型補聴器のマイクは、耳の穴(外耳道)ではなく、耳介の上にかかる本体部分に位置しています。

健聴者向けの固定電話は、受話器のスピーカーを耳の穴に密着させることを前提に設計されています。しかし、補聴器ユーザーが同じように受話器を当てても、補聴器のマイクは音を拾うことができません。音を正確に拾うためには、受話器を耳の上部へずらし、マイクの位置にピンポイントで合わせる「探索」の動作が必要不可欠となります。

受話器を補聴器のマイクに合わせるのがめちゃ苦労します


この数秒のラグ(遅延)は、周囲からは単なる「もたつき」に見えるかもしれません。しかし、当事者にとっては、精密機械のチューニングを強いられるような、極めて緊張を強いられる瞬間なのです。

情報の欠落と「冒頭の空白」

物理的な調整に時間を要することの最大の弊害は、通話冒頭の情報の欠落です。受話器の位置が定まり、ようやく音がクリアに聞こえ始めた頃には、相手方の「名乗り」が終わっているという事態が頻発します。

ビジネス電話において、相手の社名や氏名は最も重要な情報のひとつです。それを聞き逃した状態で会話をスタートさせなければならないプレッシャーは計り知れません。「すみません、もう一度お願いします」という一言は、一度や二度であれば容易でも、日に何度も繰り返すとなれば、当事者の自尊心を削り、業務への自信を喪失させる要因となり得ます。

心理的負担という「強敵」

この漫画が浮き彫りにしているのは、単なる「聞こえにくさ」という機能的な問題だけではありません。静寂に包まれたオフィスの中で、周囲の視線を感じながら電話に出ることへの過度な緊張感、そして「また失敗するかもしれない」という予期不安です。

「受話器」という無機物が、まるで意思を持った強敵のように立ちはだかる描写は、決して誇張表現ではなく、当事者が日々感じている心理的圧迫感を正確に視覚化したものと言えるでしょう。

オフィスのユニバーサルデザインに向けて

近年、障害者差別解消法の改正に伴い、事業者には「合理的配慮」の提供が義務化されました。しかし、固定電話の対応のような日常的な業務に関しては、個人の努力や我慢に委ねられているケースが少なくありません。

この漫画が示唆するのは、当事者の苦悩だけではなく、組織としての対応の必要性です。例えば、電話対応業務の免除や代替、音声をテキスト化するツールの導入、あるいはBluetooth等で補聴器と直接接続可能な電話機の採用など、技術的・制度的な解決策は存在します。

一枚の漫画を通して、オフィスの片隅で起きている「音のない戦い」に想像力を働かせること。それが、真に働きやすい環境を作るための第一歩となるのではないでしょうか。


捕虫器ユーザーと受話器との戦い


2025年12月14日日曜日

【難聴者の日常】名前を呼ばれても聞こえない…クリニックの待合室で私が挑む「孤独なギャンブル」

 大きな総合病院に行くと、ホッとすることがあります。 それは、待合室に「受付番号」が表示される大きなモニターがあるから。 「ああ、自分の番が視覚的にわかる」 たったそれだけのことで、私たち難聴者は、本を読んだりスマホを見たりして、安心して順番を待つことができます。

しかし、街の小さなクリニックとなると話は別です。 そこにはモニターもなければ、番号表示もありません。頼りになるのは、受付のスタッフさんが呼ぶ「声」だけ。これが私にとって、診察そのものよりも緊張する「試練の時間」の始まりなのです。


呼び出し時の苦悩


◆ 補聴器をしていても「3メートル」が限界

「補聴器をつけているんだから、聞こえるんでしょ?」 そう思われることも多いのですが、実はそう単純ではありません。私のような重度難聴の場合、補聴器を使って会話が成立する「有効距離」は、せいぜい3メートル程度。 広い待合室の端っこに座っていて、遠くの受付から名前を呼ばれても、それは空気の振動にすぎず、意味のある言葉としては届かないのです。

もちろん、神経を研ぎ澄ませて、ウサギのように耳を立てていれば聞き取れることもあります。でも、いつ呼ばれるかわからない待ち時間の間、何十分も極限の集中力を維持し続けるのは不可能です。 その結果、私は「音」ではなく、待合室の「空気」を読んで行動することになります。

◆ 待合室で発生する「3つのパターン」

名前が聞こえない私が、どうやって自分が呼ばれたと判断するのか。それはもう、一種の「賭け(ギャンブル)」です。長年の経験から、以下の3つのパターンに分類されることがわかりました。

【パターン1:フライングの恥】 受付の方が何かを叫んだ気配がする。 反射的に腰を浮かす私。と同時に、視界の隅で別の誰かも立ち上がる。 ……あ、これは私じゃないな。 そう察してすごすごと座り直すパターン。これはまだ傷が浅くて済みます。「足が痺れたから体勢を変えただけですよ」という顔で誤魔化せるからです。

【パターン2:沈黙の正解】 受付の声がする。しかし、待合室の誰も動かない。誰も反応しない。 この「沈黙」こそが、私への合図である可能性が高いのです。 「誰も行かないなら、私か?」 そう思って受付に行くと、正解。無事に診察室へ。これが理想的な展開です。

【パターン3:最もバツが悪い敗北】 問題なのはこれです。 パターン2と同じく、声がしたのに誰も動かない。「お、これは私だな!」と自信満々で受付へ歩み寄ります。 「私、呼ばれましたか?」 そう尋ねた私に対し、受付の方が冷ややかな視線で一言。 「いえ、別の方(今ここにいない人)を呼んだだけです」

……この瞬間の「やっちまった」感といったら! 背中に突き刺さる待合室中の視線。「自分の名前もわからないのか」と思われているのではないかという被害妄想。すごすごと席に戻る足取りの重さ。 ただでさえ聞こえなくて不安な中で、この「冷たい対応」を引いてしまった時のダメージは計り知れません。

◆ 「勘」で動かざるを得ない現実

笑い話のように聞こえるかもしれませんが、これは割と切実な悩みです。 「聞こえないなら、受付の近くに座ればいい」と思われるかもしれませんが、席が空いていないこともあります。「呼ぶときは肩を叩いてください」とお願いするのも、忙しいスタッフさんに申し訳なくて躊躇してしまいます。

だから今日も私は、小さなクリニックの片隅で、張り詰めた糸のような緊張感の中で「勘」を働かせています。 もし、病院の待合室で、呼ばれてもいないのに受付に行ってしまったり、キョロキョロと落ち着きのない人がいたりしても、「ああ、あの人は今、必死にタイミングを計っているんだな」と、温かい目で見守っていただければ幸いです。

そして願わくば、すべての病院に「呼び出しモニター」か、せめて「呼び出しベル」が導入される未来が来ますように。





2025年12月13日土曜日

「背中のミスコミュニケーション」を防ぐために。難聴とヘルプマーク、そしてもう一つの工夫

街中で「ヘルプマーク」を見かける機会が増えてきました。外見からは分からなくても、援助や配慮を必要としていることを知らせるこのマークは、社会の中で少しずつ浸透しています。しかし、聴覚に障害を持つ私にとって、このマークだけではカバーしきれない「もどかしい瞬間」が存在します。それは、背後からのコミュニケーションです。

本日は、私が実践している、ある小さな工夫についてお話ししたいと思います。

難聴だと背後からの声掛けに気付けないのです


「無視してしまった」という罪悪感

重度の難聴がある場合、背後からの呼びかけに気づくことは非常に困難です。 例えば、バスや電車の中での出来事です。混雑した車内で、親切な誰かが私のヘルプマークに気づき、「席を譲りましょうか?」と後ろから声をかけてくれることがあります。

視界に入っている相手なら気づくことができますが、死角となる後方から声をかけられても、私はその声に全く気づくことができません。 あとになって、ふとした周囲の視線や気配で「あ、もしかして今、声をかけられていたのではないか?」と察する瞬間があります。しかし、時はすでに遅く、相手の方は反応のない私の背中を見てどう思ったことでしょうか。

その時、悪いことをしたわけではないのに、胸に小さな罪悪感が広がります。 「せっかくの親切を無視してしまった」 「無愛想で失礼な人だと思われただろうな」

相手の善意を受け取れなかった申し訳なさと、誤解されてしまったかもしれないという不安。この「背中のミスコミュニケーション」は、私にとって精神的な負担となっていました。

状況を「可視化」するという解決策

そこで私が始めたのが、今回ご紹介する4コマ漫画にあるような「状況の可視化」です。 ヘルプマークと一緒に、アクリルケースに入れた独自のタグを鞄につけることにしました。そこには、はっきりとこう記しています。

『【難聴です】【聞こえてません】』

これは単なる事実の提示ですが、コミュニケーションのあり方を劇的に変える力を持っています。

この表示があることで、周囲の方は「無視された」のではなく「聞こえていないのだ」と即座に理解してくれます。その結果、呼びかけに反応がなくても「仕方がない」と納得していただけますし、場合によっては肩を叩くなど、視覚や触覚に訴える別の手段でコミュニケーションを取ってくれることもあります。

優しさを無にしないための準備

このタグをつけることは、周囲への甘えではなく、**「優しさを無にしないための準備」**だと私は考えています。

障害の有無にかかわらず、コミュニケーションのすれ違いは誰にとってもストレスです。しかし、こちらから「聞こえない」という情報をあらかじめ開示しておくことで、相手の誤解を防ぎ、私自身の「気づけなかった」という罪悪感も減らすことができます。

もし、街中でこのタグを見かけたら、反応がなくても「悪気はないんだな」と思っていただければ幸いです。そして、同じような悩みを持つ当事者の方がいらっしゃれば、ぜひこの「可視化」という手段を試してみてください。

言葉が届かない背中でも、情報の伝え方を工夫することで、社会の優しさをこぼさず受け取ることができる。そう信じて、私は今日もこのタグと共に外出しています。


現実の効能は…!?

ちなみに、このタグをつけてからの「現実」はどう変わったかと言うと……。 正直なところ、席を譲ってもらえることよりも、満員電車などのドア付近に立っていて「避けてほしい」という意味で、グイっと体を押されることが多くなりました。

東京の電車やバスは混雑が激しいですからね。 ちょっぴり切ないですが、これも「聞こえていないなら体で伝えるしかない」という、一応のコミュニケーションが成立した結果だということで(笑)。

2025年12月12日金曜日

【4コマ漫画】その優しさ、解読不能!?難聴者が直面する「筆談」のリアルな落とし穴

 こんにちは。今回は、ある「難聴者あるある」を描いた4コマ漫画をご紹介します。

タイトルは**『善意の解読不能ミステリー』**。

聴覚に障害がある方にとって、コミュニケーションの架け橋となる「筆談」。 「筆談してあげるよ!」という善意はとても嬉しいものですが、そこには意外な落とし穴がありました。 優しさが空回りしてしまう、ちょっぴり切なくて、でもクスッと笑ってしまう(そして考えさせられる)エピソードをご覧ください。


■ 漫画:善意の解読不能ミステリー

筆談を試みるも悪筆で伝わらない様子を描いた4コマ漫画
筆談は読めるように書いて



■ 「優しさ」だからこそ、言えない辛さ

この漫画の最大のポイントは、**「相手に悪気がない」**という点です。

もし相手が冷たい態度であれば、「もっとちゃんと書いてよ!」と心の中で毒づくこともできるかもしれません。しかし、相手は満面の笑みで、親切心からペンを執ってくれているのです。

  • 「せっかく書いてくれたのに」

  • 「忙しい中、時間を割いてくれたのに」

そんな相手への配慮がブレーキとなり、難聴者は**「読めない」「わからない」という事実を飲み込んで、愛想笑いでやり過ごしてしまう**ことがあります。これが、4コマ目の「哀愁漂う姿」の正体です。

■ 「筆談」に必要なのは、紙とペンだけじゃない

聴者(聞こえる人)がついやってしまいがちなのが、「単語だけ書けば伝わるだろう」という思い込みです。

例えば、「会議」とだけ書かれた紙を渡されても、

  • 「これから会議があるの?」

  • 「会議室が変わったの?」

  • 「会議の資料を用意してほしいの?」 文脈がなければ、その意味は無限に広がってしまいます。

さらにそこに「悪筆」が加わると、もはや解読不能なミステリー。 「丁寧な文字」「主語・述語のある文章」。 これらが揃って初めて、筆談は「伝わるコミュニケーション」になります。

■ お互いが笑顔になるために

この漫画を通じて伝えたいのは、決して「字が下手な人は筆談するな」ということではありません。 「伝えよう」とするその気持ちは、何よりも尊いものです。

筆談のコツ


ただ、ほんの少しの工夫――

  • 相手が読みやすいように、少し大きく丁寧に書く

  • 単語だけでなく、短い文章にする

  • ある程度書いたら逆向きにして欲しい

  • 「読めますか?」と確認する

その「あと一歩の配慮」があれば、1コマ目の女性の笑顔は、最後まで消えることなく続いたはずです。

もしあなたの周りに難聴の方がいて、筆談をする機会があったら、ぜひこの漫画のことを思い出してみてください。あなたのそのペン先には、相手を安心させる力も、困惑させる力も宿っているのです。

2025年12月11日木曜日

【4コマ漫画】冬の屋外で補聴器が急に聞こえなくなる現象と、私たちを悩ませる「防寒とハウリング」のジレンマ

 厳しい寒さが続いていますね。 補聴器ユーザーの皆様、冬の屋外を歩いているときに、ふと「あれ? 急に音が消えた?」と焦った経験はありませんか?

電池切れの合図もなっていないのに、突然の無音。 実はこれ、故障ではないことが多いのです。今日はそんな冬特有の補聴器トラブルと、その対策にまつわる「あるジレンマ」について、4コマ漫画を交えてお話ししたいと思います。

なぜ冬に補聴器が止まるのか?

補聴器の電源には、大きく分けて「空気電池」と「充電式(リチウムイオン電池)」の2種類がありますが、実はどちらも寒さに弱いという弱点があります。

昔ながらの空気電池は、気温が下がると化学反応が鈍くなり、電圧が低下してしまいます。 また、私も使っている充電式の補聴器も同様です。寒い日にスマホの電池が急に減ったり、電源が落ちたりした経験はありませんか? あれと同じで、リチウムイオン電池も低温下では本来の性能を発揮できず、動作が不安定になることがあるのです。

そんな時の私たちの様子を、4コマ漫画にしてみました。

寒さと補聴器の保温


「手で温める」だけでは不十分?

漫画の3コマ目のように、補聴器(補聴器君)が寒さで震えてしまっています。 よくある対策として「手で握って温めると復活する」と言われます。確かに一時的に機能は戻るのですが、実はこれだけでは解決にならないことが多いのです。

手で温めて機能が戻っても、また冷え切った耳元に装着して寒風に晒せば、すぐにまた冷えて止まってしまいます。 「冷える→温める→また急激に冷える」という温度変化の繰り返し(ヒートサイクル)は、精密機械である補聴器にとっても大きな負担がかかりますし、何より補聴器君が可哀想ですよね。

だからこそ、漫画の4コマ目のように**「イヤーマフや帽子で覆って、持続的に温めてあげる」**ことが、補聴器を安定して動作させるための正解になります。

「防寒」と「ハウリング」の板挟み

しかし、ここで私のような重度難聴ユーザーには、もう一つの壁が立ちはだかります。 それが**「ハウリング(ピーピー音)」**の問題です。

聴力を補うために音の増幅(利得)を大きく設定している場合、イヤーマフで耳を完全に覆ってしまうと、増幅された音がイヤーマフに反射してマイクに戻り、「ピーーーッ!」という強烈なハウリング音が鳴り響いてしまいます。

  • 温めないと、聞こえなくなる。

  • 温めようと覆うと、ハウリングでうるさい。

このジレンマ、本当に悩ましいですよね。

私なりの解決策

私が実践しているのは、**「ハウリングしないギリギリのラインを探る」**という方法です。

イヤーマフを少しずらして隙間を作ったり、ニット帽の素材を通気性の良いものに変えたり。完全に密閉せずとも、直接の寒風さえ防げれば、電池のパフォーマンス低下はある程度防ぐことができます。

冬の屋外での「聞こえ」を守るためには、自分の補聴器の特性(ハウリングの起きやすさ)を知り、それに見合った防寒グッズや着け方を工夫することが大切です。

もし、同じように冬の外出で困っている方がいたら、「補聴器も寒がっているんだな」と思って、優しく(でもハウリングには気をつけつつ)温めてあげてくださいね。

寒い日の補聴器の対策




2025年12月10日水曜日

✈️ 空港の電子音に潜む無関心:中部国際空港で露呈したアクセシビリティの盲点

先日、中部国際空港セントレアを利用した際に遭遇した、ある自動販売機での体験を通じて、社会に残る「音のバリア」について深く考察させられました。

私はスマートフォンのアンケートに当選し、無料でドリンクと引き換えられるQRコードを入手しました。このささやかな幸運に心躍らせながら、意気揚々と対象の自販機に向かいました。

耳が聞こえない人の自販機の悲劇という4コマ漫画


認証完了の「無音」が生む混乱

自販機に備え付けられたリーダーにQRコードをかざすと、機械からは認証完了を知らせるはずの「ピッ」という軽快な電子音が鳴り響きます。健聴者にとっては瞬時に次の操作へ移るための重要な合図ですが、私にはその音は届きません。

音によるフィードバックがない状況下では、自販機はただ黙々と佇む「無愛想なマシーン」にしか見えません。コードが有効に読み込まれたのか、それともまだ角度が悪いのか、確認する術がないのです。

周囲に他の利用者がいないとはいえ、飛行機への搭乗時間が迫る中、操作に手間取ることへの焦燥感は増すばかりでした。私は不安から「まだ認証されていない」と判断し、何度もコードをかざし直しました。その間、自販機は確実に「ピッ、ピッ」と認証完了の音を立てていたはずです。


予期せぬ商品の出現と設計の非情さ

そして、何度目かの操作の後、予期せぬタイミングで一本の缶飲料が出てきました。出てきたのは私が望んだ商品ではありません。

混乱の原因は、音によるフィードバックの欠如です。私にはQRコードが有効に読み込まれた時点が全く分からなかったため、「商品を選び、ボタンを押す」という一連の操作に移行できていませんでした。

なぜその商品が出てきたのか。有効化後の操作タイムアウトで自動的にデフォルト商品が選択されたのか、あるいは繰り返しのコード操作が高機能ゆえに誤作動を引き起こしたのか、理由は不明です。しかし、原因が何であれ、利用者に操作の現状を伝えようとしない設計が、予期せぬ結果を招いたことは明らかです。

手に取った望まぬ缶を眺めながら、私はこの「音」に依存した設計の非情さを痛感しました。国内外のあらゆる人が利用する公共性の高い空港において、このような設計は、聴覚に障害を持つ人々を極めて不利な状況に置き去りにしていると言わざるを得ません。


高機能な自販機だからこそ求められる最低限の配慮

私たちの社会の多くのインフラは、音を前提に設計されています。操作完了確認音だけの設備は、聴覚障害者にとって操作完了を確認できない状態を意味します。長年の経験から「勘」で済ませることもありますが、それは常に不確実性とストレスを伴います。

セントレアのような国際的なハブ空港が備える高機能な自販機だからこそ、特別な設備を求めるのではなく、せめて標準機能として視覚的な情報をプラスしてほしいと願います。

せめて高機能自販機ではもっと視覚情報が欲しい


QRコード読み取りのような重要なインターフェースにおいては、

  • 視覚的フィードバックの強化: 「読み取り完了」や「商品を選択してください」といったメッセージを、単なる一瞬の点滅ではなく、大きな文字やコントラストの高い色で明確に表示し続けること。

これらは、開発コストを大きく上げることなく実装可能であり、すべての利用者の公平性を確保するための最低限の措置です。今回の小さな体験は、日々の生活の中で聴覚障害者が直面する不便さの氷山の一角です。すべての人にとって利用しやすいインフラが、当たり前の基準となることを強く期待します。


ちなみに、セントレアを非難する意図はありません。

2025年11月27日木曜日

難聴は認知症のリスク? その「統計」を逆手に取る、私の「脳への非日常」入力法

 はじめに:聞こえないことと、脳の活動

私はかなり重度の難聴を持っています。近年、医学的な統計において「難聴の人は認知症になりやすい」という話は、もはや定説として語られるようになりました。耳からの情報入力が減ることで脳の活動が低下したり、コミュニケーションが億劫になって孤立したりすることが原因だと言われています。

この事実は、私にとって決して気持ちの良いものではありません。しかし、嘆いていても聴力が戻るわけではありません。「ならば、耳からの刺激が減っている分、耳以外からの刺激で脳を圧倒的に忙しくさせてやればいいのではないか?」――私は最近、そう考えるようになりました。

今日は、私が実践している「脳への意図的な刺激」としての生活習慣、そして少しユニークな週末の過ごし方について書いてみたいと思います。

脳は「慣れ」が大好物。だからこそ「裏切る」必要がある

そもそも、なぜ認知機能が衰えるのでしょうか。一つの仮説として、日々の生活が「ルーチン化(パターン化)」してしまうことが挙げられます。

人間の脳は優秀なので、毎日同じ通勤路、同じ仕事、同じ人間関係の中にいると、最小限のエネルギーで動けるように「自動操縦モード」に入ります。これは生存戦略としては正しいのですが、脳の機能を保つという点ではマイナスです。特に私のように聴覚情報が不足している場合、視覚や体験による刺激まで「いつものこと」で済ませてしまうと、脳への入力は激減してしまいます。

そこで必要なのが、**「意識的に日常を覆す」**ことです。 毎日の通勤経路を一本変えて、違う路地の景色を見る。季節によって変わる街の装飾を、「なんとなく」ではなく「意識して」観察する。これだけで、脳の空間認識能力や注意機能はフル稼働し始めます。

「旅行の疲れ」の正体は、脳の疲労である

皆さんは、旅行から帰ってきた時、どっと疲れを感じたことはありませんか? よく考えてみると不思議なことです。観光バスや電車に乗っている時間が長く、物理的に歩いた距離は普段と変わらないかもしれない。それなのに、なぜあんなに疲れるのか。

私は、これこそが**「脳がフル回転した証拠」**だと思っています。

見知らぬ土地では、脳の「自動操縦」が通用しません。「このバスで合っているか?」「次はどこで曲がるのか?」「見たことのない看板がある」――。脳は常に予測不可能な情報に対処し、リアルタイムで判断を下し続けています。体が動いていなくても、脳はずっとフルマラソンをしているようなものです。

つまり、旅行後の心地よい疲労感は、脳がしっかりと刺激を受け止め、活性化した証(いわば脳の疲労)と言えるのです。これこそが、認知症予防における最強のトレーニングではないでしょうか。



週末の「冒険」:AIに提案させ、最後は私が決める

毎週旅行に行ければ理想的ですが、予算も時間も限りがあります。そこで私は、「近場の知らない場所」を散歩することを習慣にしています。

ここで面白いのが、行き先の決め方です。私は最近、AI(人工知能)をパートナーにしています。 「都内近郊の金運のご利益のある神社を教えて」「怪しげで、でも一般人でも行ける廃墟・遺構を教えて」とか興味のあることをなんでもAIに投げかけ、あえて「行動予定量の10倍の量の計画(選択肢)」を作ります。

なぜ10倍も出させるのか。10倍くらい情報を持っていれば、その中からその時に応じて好きなものを「決断」できるから。決断という行為こそが脳の前頭葉を刺激するからです。計画が1つしかなかったら、単なる行動プログラムと化してしまいます。計画を緻密にたてて、行動予定通り行動することが美学なんてのは、自衛隊の演習だけでよろしいです。計画候補をたくさん持っていると自然に「選択と決断」ができます。それに達成の義務感もないのでストレスも少ないです。

情報収集という作業で脳を疲れさせるのではなく、最後の「意思決定」にリソースを集中させる。そして、その日の気まぐれで選んだ場所へ行き、初めて見る景色の中を歩く。このプロセス自体が、高度な脳トレになっています。

「消費」だけでなく「創造」も刺激になる

場所を移動すること(インプット)以外にも、脳への刺激を与える方法はあります。それは「新しいことを生み出す(アウトプット)」ことです。

  • 今まで作ったことのない料理のレシピに挑戦する。

  • DIYで生活を便利にする道具を作ってみる。

  • あるいは、こうして自分の考えをブログに書いてみる。

「やったことがないこと」に挑戦する時、脳は試行錯誤を繰り返します。手順を考え、手を動かし、失敗して修正する。この一連の流れもまた、日常のルーチンを打破する強力な刺激です。

おわりに:難聴を「攻めの生活」のきっかけに


「難聴だから認知症になるかもしれない」と怯えて引きこもるのが、一番のリスクです。 聞こえにくい分、私は人一倍、目で見て、足で歩き、直感で選ぶ生活を楽しもうと思います。

「今日はどこで脳に刺激をれさせてやろうか?」 そんなゲーム感覚で、明日もまた、いつもとは違う道を選んで歩いていくつもりです。皆さんも、日常の中に小さな「非日常」を取り入れて、脳に心地よい汗をかかせてみませんか?

2025年1月20日月曜日

【実録】アブミ骨手術後の4ヶ月:効果の停滞と再手術決定までの経緯

 アブミ骨手術を終え、止血のために耳に詰められていたガーゼが取れたとき。聞こえる音が大きくなった、あるいは聞き取りやすくなったというような明確な変化は認識できませんでした

術後の変化について、「こんなものなのか?」という感想を持ちました。

術前の説明では、耳の中の水分が抜けて聴力が回復するまでに約3ヶ月、聴力が安定するまでには約6ヶ月かかるとのことでしたので、「これから良くなっていくのだろう」と様子を見ることとしました。

アブミ骨手術1回目から再手術決断まで


📊最初の聴力変化と補聴器調整

手術から約1ヶ月が経過した頃、まだ効果が安定していない時期でしたが、補聴器を装用すると音量が上がっていることを確認できたため、補聴器の調整を行いました。

調整内容としては、手術を実施した右耳の音を5dBほど小さく設定した、というものでした。これは、手術によって聴力が5dB程度改善したことを示しています。聴力損失が70dB程度の状況で5dBの改善は、回復度合いとしてはわずかであるという認識でした。また、効果がまだ安定しない時期であったため、「今後の推移を見守る必要がある」と考えていました。

聴力検査における5dBは誤差の範囲とされることもありましたが、実際に聞こえる音としては、5dBの上昇で音を**「うるさく感じる」程度の差**が生じました。このため、改善が起こっていることは確かでした。しかし、空気で伝わる聴力(気道聴力)と骨で伝わる聴力(骨伝導聴力)の差(気骨導ギャップ)が20dBほど残っていたため、「更なる改善の余地はあるだろう」という状況でした。

📉効果の停滞とCT検査による原因特定

当初感じたわずかな改善効果も、3ヶ月が経過する頃にはそれ以上の進展が見られず、聴力は術前の状態に近くなっているという経過をたどりました。

そして、手術から4ヶ月が経過した12月、「この状況は計画と異なっている」という判断からCT検査を予約し、翌1月に検査を受けました。

CT検査の結果、3つある耳小骨のうち、鼓膜側のツチ骨と、その隣のキヌタ骨の間に隙間が発生していることが判明しました。これにより音の振動がうまく伝わらなくなり、聴力の回復が妨げられている、という結論に至りました。

🗓️再手術の選択と術式の決定

聴力が回復していない右耳に対し、以下の選択肢を検討することになりました。

  1. 回復していない右耳を再手術する。

  2. このままにして、比較的状態の良い左耳の手術を実施する。

左耳の手術を選択した場合、右耳が聞こえない状態に加えて、左耳が回復するまでの期間、聴覚がほぼ機能しない状況に陥ることが想定されました。この負荷を考慮し、右耳の再手術を選択しました。

再手術の方法については、以下の通りでした。

  • 第一選択: 隙間が生じたツチ骨とキヌタ骨の間を埋めて、耳小骨の連鎖を再構築する

  • 第二選択: それが困難な場合、キヌタ骨を迂回(バイパス)し、ツチ骨とアブミ骨を直接連結する(キヌタ骨による音の増幅効果が得られないため、第二選択とされました)。

具体的な術式は、手術中に可能な最善の方法を選択してもらうこととし、医師に一任しました。準備を進め、2回目の手術は、1回目の手術から11ヶ月後となる2025年7月に行いました

アブミ骨手術後、再手術までの道のり