大きな総合病院に行くと、ホッとすることがあります。 それは、待合室に「受付番号」が表示される大きなモニターがあるから。 「ああ、自分の番が視覚的にわかる」 たったそれだけのことで、私たち難聴者は、本を読んだりスマホを見たりして、安心して順番を待つことができます。
しかし、街の小さなクリニックとなると話は別です。 そこにはモニターもなければ、番号表示もありません。頼りになるのは、受付のスタッフさんが呼ぶ「声」だけ。これが私にとって、診察そのものよりも緊張する「試練の時間」の始まりなのです。
| 呼び出し時の苦悩 |
◆ 補聴器をしていても「3メートル」が限界
「補聴器をつけているんだから、聞こえるんでしょ?」 そう思われることも多いのですが、実はそう単純ではありません。私のような重度難聴の場合、補聴器を使って会話が成立する「有効距離」は、せいぜい3メートル程度。 広い待合室の端っこに座っていて、遠くの受付から名前を呼ばれても、それは空気の振動にすぎず、意味のある言葉としては届かないのです。
もちろん、神経を研ぎ澄ませて、ウサギのように耳を立てていれば聞き取れることもあります。でも、いつ呼ばれるかわからない待ち時間の間、何十分も極限の集中力を維持し続けるのは不可能です。 その結果、私は「音」ではなく、待合室の「空気」を読んで行動することになります。
◆ 待合室で発生する「3つのパターン」
名前が聞こえない私が、どうやって自分が呼ばれたと判断するのか。それはもう、一種の「賭け(ギャンブル)」です。長年の経験から、以下の3つのパターンに分類されることがわかりました。
【パターン1:フライングの恥】 受付の方が何かを叫んだ気配がする。 反射的に腰を浮かす私。と同時に、視界の隅で別の誰かも立ち上がる。 ……あ、これは私じゃないな。 そう察してすごすごと座り直すパターン。これはまだ傷が浅くて済みます。「足が痺れたから体勢を変えただけですよ」という顔で誤魔化せるからです。
【パターン2:沈黙の正解】 受付の声がする。しかし、待合室の誰も動かない。誰も反応しない。 この「沈黙」こそが、私への合図である可能性が高いのです。 「誰も行かないなら、私か?」 そう思って受付に行くと、正解。無事に診察室へ。これが理想的な展開です。
【パターン3:最もバツが悪い敗北】 問題なのはこれです。 パターン2と同じく、声がしたのに誰も動かない。「お、これは私だな!」と自信満々で受付へ歩み寄ります。 「私、呼ばれましたか?」 そう尋ねた私に対し、受付の方が冷ややかな視線で一言。 「いえ、別の方(今ここにいない人)を呼んだだけです」
……この瞬間の「やっちまった」感といったら! 背中に突き刺さる待合室中の視線。「自分の名前もわからないのか」と思われているのではないかという被害妄想。すごすごと席に戻る足取りの重さ。 ただでさえ聞こえなくて不安な中で、この「冷たい対応」を引いてしまった時のダメージは計り知れません。
◆ 「勘」で動かざるを得ない現実
笑い話のように聞こえるかもしれませんが、これは割と切実な悩みです。 「聞こえないなら、受付の近くに座ればいい」と思われるかもしれませんが、席が空いていないこともあります。「呼ぶときは肩を叩いてください」とお願いするのも、忙しいスタッフさんに申し訳なくて躊躇してしまいます。
だから今日も私は、小さなクリニックの片隅で、張り詰めた糸のような緊張感の中で「勘」を働かせています。 もし、病院の待合室で、呼ばれてもいないのに受付に行ってしまったり、キョロキョロと落ち着きのない人がいたりしても、「ああ、あの人は今、必死にタイミングを計っているんだな」と、温かい目で見守っていただければ幸いです。
そして願わくば、すべての病院に「呼び出しモニター」か、せめて「呼び出しベル」が導入される未来が来ますように。
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