ブログ説明

ひどい耳鳴りのためTRT療法を体験
その後、難聴は進行して、ほぼ聞こえず。でも耳鳴りだけは聞こえる(笑)
アブミ骨手術ができるということで、その体験談も書きます。

2025年12月19日金曜日

見えない障害と「虫」の境界線?——聴覚障害者の独り言

 こんにちは。 今日は、ふと思った「目に見える不自由」と「目に見えない不自由」の違いについて、少し綴ってみたいと思います。

見えないものは忘れられ易い。自己主張はこのときだけ


「見えないもの」は忘れ去られる

例えば、松葉杖をついている人が目の前にいたら、誰だって「あ、足が不自由なんだな」とすぐに分かりますよね。よほど意地悪な人でもない限り、自然と道を譲ったり、ドアを開けたりといった「いたわり」の行動が生まれます。それは、不自由さが常に視覚に入っているからです。

ところが、聴覚障害はそうはいきません。 黙っていれば、周りが気づくことはまずありません。

特に私のように、普通に話し、会議をこなし、プレゼンまで大好きなタイプだと、相手は私が「聞こえにくい」という事実を、ものの数分で忘れてしまいます。

質疑応答は、いつだって真剣勝負

プレゼンが終われば、容赦ない質問の嵐が飛んできます。 私は相手の応答を聞き取るために、普通の人の3倍近いエネルギーを注いで集中します。必死に言葉を拾い、きっちりと言葉を返す。

そうやってスムーズにやり取りが続いてしまうからこそ、相手はますます「この人は聞こえているんだ」と誤解(?)し、さらに容赦ないスピードで言葉をぶつけてくる……というループに陥ります。

私くらいの「強者」になれば、 「聴覚障害者なんだから、もうちょっと優しくしてくださいよ〜」 なんて冗談めかして言えちゃいますが、これが言えずに一人で抱え込んでしまう人は、きっと相当しんどいだろうな、と思うのです。

熊、昆虫、そして「聞こえない私」

人間って、結局「目に見えるもの」に対しては優しくなれるけれど、見えなくなった途端に意識の外へ追いやってしまう生き物なのかもしれません。

極端な話、環境保護だってそうです。

  • 熊: デカくて見えるから「保護しよう!」となる。

  • 昆虫: 小さくなると、保護する気が失せてくる。

  • 蚊や例の黒い害虫: 見えたら最後、駆除・絶滅の対象。

  • ウイルス: もはや見えないので、徹底的に排除したい。

「目に見えるかどうか」が、人間の判断基準にこれほど影響しているとしたら……。 常に認識してもらえる車椅子や松葉杖に比べて、忘れ去られがちな聴覚障害は、このヒエラルキーでいうと「虫以下」の位置にいるのかもしれません(笑)。

見えないものは忘れられやすいのが現実


それでも、ちゃっかり生きる

かといって、「私は耳が不自由なんです!」と常にアピールして優しさを引き出すのも、なんだか図々しい気がして、普段は黙っています。

あ、でも、一つだけ例外が。 バスに乗る時だけは、サッと「障害者手帳」を提示します。

だって、運賃が半額になりますからね。 目に見えない不自由さを抱えている分、使えるメリットはちゃっかり使う。 「マネー」はいつだって大切ですから!

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