今日は、重度難聴の私にとって、日々の生活の中で最も恐れている「あるトラブル」についてお話ししたいと思います。
それは、補聴器を落とすこと、なくすこと、そして壊してしまうことです。
| 補聴器は必要不可欠なもの |
「聞こえない」がもたらす情報からの遮断
私のように重度の難聴を抱えていると、補聴器がない世界は「必要な音がほぼ何も聞こえない」状態になります。単に音が遠くなるのではなく、社会や周囲の情報から切り離されてしまうような、そんな感覚です。
そのため、補聴器は私にとって単なる道具ではなく、生活を支える身体の一部、まさに「生活必需品」そのものなのです。
コンタクトレンズとの共通点と相違点
よく「補聴器をなくす不安」を説明するときに、コンタクトレンズに例えられることがあります。
コンタクトレンズを使っている方がレンズを落としたとき、視界がぼやける中で必死に床を這って探す姿を想像されるかもしれません。確かに「体の一部を失って困り果てる」という点ではよく似ています。
ただ、一つだけ大きな違いがあります。 それは、**「私には目が見えている」**ということです。
コンタクトの方は見えない中で手探りで探さなければなりませんが、私は目ははっきりと見えます。だから、物理的には見つけやすいはず……。ですが、実際の「探し方」の熱量は、おそらくコンタクトレンズを探すときよりも、ずっと凄まじいものになります。
「気合」の入り方が違う理由
なぜそこまで必死になるのか。それは、失うものの大きさが違うからです。
一般的に、ハードコンタクトレンズは1枚数万円ほどと言われています。それも十分高価なものですが、補聴器はその10倍以上の価格(数十万円)になることが珍しくありません。
高性能補聴器になると、両耳で、安いもので50万円、中間クラスで80万円、良いものは100万円を超えます。
もし紛失してしまったら、新しいものが手に入るまで、私は「音情報のない世界」で孤立して生活しなければならなくなります。なので、「高いから我慢しよう」なんて言っておられず、再購入は必須ですが、経済的なダメージは計り知れないくらい痛いです。
だからこそ、もし落としたことに気づいた瞬間、私の探し方は文字通り「マジ真剣」の気合が入ります。地面を凝視し、一歩一歩、心臓をバクバクさせながら探します。
なくした実体験は2度
案外補聴器というのは落ちないものですが、これまでに2回落としたことがあります。
1回目は、自転車に乗っていてマスクの位置を直したとき、マスクも耳にかけており補聴器も耳にかけているので、マスクの位置を直すのは天敵なんですよね。
2回目は、ラスベガスの射撃場でレンタルのイヤーマフを外したとき。気がつけば補聴器の片方がありませんでした。自転車で落としたときはすぐに止まって必死になって今来た道を探し、20メートルぐらい後方で見つけることができました。射撃場のレンタルイヤーマフで無くした時は、射撃場の人によってレンタルイヤーマフを返却した箱の中のイヤーマフを全部ひっくり返す気で探しました。半分くらいのところで見つかりましたよ。
どちらも心臓が凍るほど焦った気持ちがあります。皆さんも補聴器をなくさないように気をつけてくださいね。
| 補聴器をなくした2度の体験 |
おわりに
補聴器は、私たちが社会とつながるための大切な「架け橋」です。 高価で繊細なこの相棒を、これからも大切に扱っていかなければと、改めて自分に言い聞かせる毎日です。
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