ブログ説明

ひどい耳鳴りのためTRT療法を体験
その後、難聴は進行して、ほぼ聞こえず。でも耳鳴りだけは聞こえる(笑)
アブミ骨手術ができるということで、その体験談も書きます。

2025年12月30日火曜日

聴覚障害と夜行高速バス。静寂という特権と、隣り合わせの不便さ

 皆様は夜行高速バスをよく利用されますか? 私は、寝ている間に移動できる効率の良さから利用することがあります。もちろん飛行機が最も好きですが、バスも選択肢の一つです。

聴覚障害を持つ私にとって、夜行バスでの移動は独特の「環境」があります。

補聴器を外せば静かに寝られるけれど、トイレ休憩に気付けないのが難点ですね


どこでも静寂に浸れる「特権」

就寝時、私は補聴器を外します。充電のためでもありますが、一番の理由は紛失防止です。狭い車内で失くしてしまえば、それこそ悲劇ですから。

補聴器を外せば、私の耳は音を全く認識しなくなります。聞こえるのは慣れてしまった耳鳴りだけ。 実はこれ、一種の「特権」だと思っています。

耳栓をしなくても、補聴器を外すだけで、うるさい夜行バスだろうが飛行機だろうが、自宅の静かな寝室と全く同じ環境になります。どこでもスヤスヤと寝られるのは、この身体ならではの利点と言えるかもしれません。

常に付きまとう「緊張感」

しかし、音が聞こえないことは「情報の遮断」でもあります。車内アナウンスは一切聞こえません。

特に、早朝の途中バス停で降りる時はかなり気が張ります。通過してしまったら大変なことになるからです。スマートバンドの振動を目覚まし代わりに使って、周りに迷惑をかけずに起きる工夫はしていますが、「起きなければ」というプレッシャーで、案外寝られないことも多いのが実情です。

熟睡できるがゆえの欠点

また、あまりに静かに熟睡できてしまうため、途中のトイレ休憩にはまず気づけません。 そのため、必ず「トイレ付き」のバスを選ぶことが絶対条件になります。休憩に行けない不便さは、車両選びでカバーするしかありません。

安さがあるから、我慢できる

不便なことも多い夜行バスですが、身体障害者手帳による割引は非常にありがたいものです。 多くの路線で半額になり、東京〜大阪間なら5,000円ほどで移動できてしまいます。

この安さがあるからこそ、多少の不便やリスクも「仕方ない」と割り切って、我慢することができます。これからもスマートバンドなどの道具を駆使しながら、この「静かな移動手段」を活用していくつもりです。

聴覚障害者の夜行バス旅行、メリットとデメリット


2025年12月26日金曜日

アブミ骨手術、右耳を2回行った経過

私は「耳硬化症」という病気のため、これまでに右耳の「あぶみ骨手術」を2回受けました。1回目で思うような結果が出なかったため、再手術に踏み切ったという経緯です。

ネットでこの手術について調べると、「聴力の改善率は90%程度」という非常に高い数字をよく目にします。しかし、それはあくまで「伝音難聴」だけが原因の場合の話。

私の場合は「感音難聴」もそれなりに進んでいるため、最初から前提条件が違いました。補聴器が不要になるほどの劇的な改善は、最初から目標にはしていません。

再手術ということもあり、「良くなる確率は50%くらい」という見通しを納得した上で、手術に踏み切りました。

結果が良くなってなくても、それも想定内だから



「変わらない」という結果をどう捉えるか

結果として、2回の手術を経ても右耳の聴力は良くなりませんでした。

数字だけを見れば「失敗」に見えるかもしれませんが、私自身はそうは捉えていません。成功率が50%ということは、残りの50%は「良くならない」ということです。私はただ、想定の範囲内であった「良くならなかった方の半分」に入っただけ。そう解釈しています。

少なくとも、約1%の確率で発生すると言われる「グッシャー(Gusher)症候群」によって聴力を完全に失うような、明確なアクシデントが起きたわけではありません。それは一つの救いでもあります。


前向きに、次は左耳へ

耳硬化症は進行性の病気です。 たとえ聴力が上がらなかったとしても、手術によってこれ以上の進行を防ぐことができているのであれば、それだけでも「手術をした意味」は十分にあったと考えています。

悪いように考えても仕方がないですからね。

まずは右耳の2回の手術を終えた一つの区切りとして、この経過を受け止めています。実はまだ、手術をしていない左耳も控えています。

右耳の経験を踏まえつつ、次は左耳の手術に向き合っていく予定です。同じ病気で悩む方の参考になれば幸いです。

アブミ骨手術、右耳2回目までの経過



2025年12月25日木曜日

音が消えて気づいた「世界の輪郭」と、周りに合わせる努力の日々

私の耳が聞こえにくくなってから、しばらく経ちました。徐々に衰えてはいったものの、ある時ガクンと聴力が落ちた瞬間があり、その日を境に私の世界は一変しました。

そこで痛感したのは、**「この世の中は、音で気づくことを前提に作られている」**という事実です。

音が聞こえなくても頑張って生きる


自分の存在さえも「音」で確認していた

耳が悪くなってまず戸惑ったのは、自分自身の体の動きです。 服が擦れる音、どこかに手が触れる音、そして地面を叩く足音。私たちは無意識にそれらの音を聞くことで、自分の動きや歩調を確認しているのだと初めて気づきました。

音が聞こえなくなると、自分の体の感覚がどこか頼りなく、浮いているような気持ちになります。まるで自分が「忍者」にでもなったかのように、音もなく忍び足で歩いている感覚。自分の存在の輪郭までもが、音と共に消えてしまったかのようでした。

「普通」に歩くための、見えない努力

外を歩くときは、健聴者の方々が想像する以上に神経を研ぎ澄ませています。特に狭い生活道路は、私にとって戦場に近い緊張感があります。

最近のハイブリッド車やEVは本当に静かです。音を頼りにできない私にとって、彼らは背後から音もなく忍び寄る存在。だからこそ、私は**「あえて一方通行の道を、車と逆向きに歩く」**という工夫をしています。

前から来る車を目で確認し、相手の動きを予測する。 「普通に歩く」という当たり前の動作ひとつとっても、耳が聞こえる方と同じように安全に過ごすためには、こうした小さな、けれど欠かせない努力の積み重ねが必要なのです。

ルールとマナー、そして安全への願い

どれだけこちらが注意を払い、周りの流れに合わせようと努力していても、どうしても恐怖を感じることがあります。

特に最近目立つ「LUUP(電動キックボード)」には、強い憤りを感じることがあります。交通ルールを無視した走行、そして何より「気配」を感じさせない静かさで、すぐ横をすり抜けていく。 こちらがどれだけ周囲に気を配って「合わせよう」としていても、予測不能な動きをされると、防ぎようがないのです。

ひどいのになると接触した上に、謝るどころか悪態をつき罵声を浴びせるような人まで現れます。まあ幸いなことにその罵声には私の耳には届かないですけどね。

おわりに

音が消えた世界で生きることは、常に周囲の状況を読み解き、自分を適応させていくプロセスの連続です。

「周りに合わせるための努力」は、正直に言えば疲れることもあります。でも、そうして研ぎ澄まされた感覚で捉える世界も、また一つの現実です。

もし街中で、何度も後ろを振り返ったり、慎重に道を歩いている人を見かけたら、「見えないところで努力している誰か」がいるかもしれないと、心の片隅に留めておいてもらえたら幸いです。

耳が悪い人も結構苦労しています



2025年12月24日水曜日

【切実】補聴器をなくすということ。それは私にとって「音」を失うこと。

今日は、重度難聴の私にとって、日々の生活の中で最も恐れている「あるトラブル」についてお話ししたいと思います。

それは、補聴器を落とすこと、なくすこと、そして壊してしまうことです。

補聴器は必要不可欠なもの


「聞こえない」がもたらす情報からの遮断

私のように重度の難聴を抱えていると、補聴器がない世界は「必要な音がほぼ何も聞こえない」状態になります。単に音が遠くなるのではなく、社会や周囲の情報から切り離されてしまうような、そんな感覚です。

そのため、補聴器は私にとって単なる道具ではなく、生活を支える身体の一部、まさに「生活必需品」そのものなのです。

コンタクトレンズとの共通点と相違点

よく「補聴器をなくす不安」を説明するときに、コンタクトレンズに例えられることがあります。

コンタクトレンズを使っている方がレンズを落としたとき、視界がぼやける中で必死に床を這って探す姿を想像されるかもしれません。確かに「体の一部を失って困り果てる」という点ではよく似ています。

ただ、一つだけ大きな違いがあります。 それは、**「私には目が見えている」**ということです。

コンタクトの方は見えない中で手探りで探さなければなりませんが、私は目ははっきりと見えます。だから、物理的には見つけやすいはず……。ですが、実際の「探し方」の熱量は、おそらくコンタクトレンズを探すときよりも、ずっと凄まじいものになります。

「気合」の入り方が違う理由

なぜそこまで必死になるのか。それは、失うものの大きさが違うからです。

一般的に、ハードコンタクトレンズは1枚数万円ほどと言われています。それも十分高価なものですが、補聴器はその10倍以上の価格(数十万円)になることが珍しくありません。

高性能補聴器になると、両耳で、安いもので50万円、中間クラスで80万円、良いものは100万円を超えます。

もし紛失してしまったら、新しいものが手に入るまで、私は「音情報のない世界」で孤立して生活しなければならなくなります。なので、「高いから我慢しよう」なんて言っておられず、再購入は必須ですが、経済的なダメージは計り知れないくらい痛いです。

だからこそ、もし落としたことに気づいた瞬間、私の探し方は文字通り「マジ真剣」の気合が入ります。地面を凝視し、一歩一歩、心臓をバクバクさせながら探します。

なくした実体験は2度

 案外補聴器というのは落ちないものですが、これまでに2回落としたことがあります。

 1回目は、自転車に乗っていてマスクの位置を直したとき、マスクも耳にかけており補聴器も耳にかけているので、マスクの位置を直すのは天敵なんですよね。

 2回目は、ラスベガスの射撃場でレンタルのイヤーマフを外したとき。気がつけば補聴器の片方がありませんでした。自転車で落としたときはすぐに止まって必死になって今来た道を探し、20メートルぐらい後方で見つけることができました。射撃場のレンタルイヤーマフで無くした時は、射撃場の人によってレンタルイヤーマフを返却した箱の中のイヤーマフを全部ひっくり返す気で探しました。半分くらいのところで見つかりましたよ。

 どちらも心臓が凍るほど焦った気持ちがあります。皆さんも補聴器をなくさないように気をつけてくださいね。

補聴器をなくした2度の体験


おわりに

補聴器は、私たちが社会とつながるための大切な「架け橋」です。 高価で繊細なこの相棒を、これからも大切に扱っていかなければと、改めて自分に言い聞かせる毎日です。

2025年12月23日火曜日

音のない朝と、私の「命綱」について

 皆さんは毎朝、どのようにして目を覚ましていますか? 多くの方は、スマートフォンのアラーム音や、目覚まし時計の「ピピピ」という音で一日を始めるのではないでしょうか。

聴覚障害を持つ私にとって、朝の目覚めには少し特殊なハードルがあります。今日は、日常生活の中で「実は使えないもの」と、その不便さをどう補っているかについてお話ししようと思います。

ウェアラブルスマートバンドが目覚ましの命綱

枕元で鳴り響く音も、私には届かない

私は寝る時、補聴器を外します。物理的に耳のスイッチをオフにするような感覚で、周囲の音は一切聞こえなくなります。そのため、どんなに大きな音で鳴る目覚まし時計をセットしても、私を現実の世界へ引き戻してはくれません。

よく「振動タイプの目覚まし時計」という解決策が挙げられます。強力なバイブレーションで起こしてくれる機械ですが、これも意外と一筋縄ではいきません。枕の下に置いていても、寝返りを打って位置がずれてしまうと、もう効果がなくなってしまうからです。

腕に伝わる小さな振動が「命綱」

今の私にとって、本当の意味での目覚まし時計——いわば「命綱」となっているのは、スマートウォッチやリストバンドの振動機能です。

手首に直接巻き付いているので、寝相が悪くても場所がずれることはありません。この小さな振動だけが、唯一確実に私を朝へ連れ出してくれる手段です。

「もしも」に備える、ホテルでの習慣

ただ、どうしても拭えない不安もあります。それは「寝ている時の火災報知器」です。

特にビジネスホテルのシングルルームなどに一人で泊まっているとき。もし深夜に火災が起きて警報が鳴り響いても、補聴器を外している私には全く聞こえません。「きっと火事になったら逃げ遅れてしまうのだろうな」という不安が、常に頭の片隅にあります。

そのため、宿泊する際にはできる限りの自衛策として、**「可能な限り下層階のお部屋を」**とリクエストするようにしています。万が一の際、少しでも早く外へ避難できるようにとの思いからです。

寝ているときの工夫



音という情報が遮断された世界で、安全を確保しながら過ごすには工夫が欠かせません。「音」が前提の社会の中で、どうすればもっと安心して眠れるようになるのか。そんなことを考えながら、今日もリストバンドを腕に巻いて眠りにつきます。

この記事を通して、当たり前だと思われている「音」の役割について、少しでも想像を広げていただけたら嬉しいです。

2025年12月22日月曜日

宅配便さん、ごめんなさい。――「待っている」のに聞こえない、私の葛藤

 今日も玄関のドアを開けると、足元にハラリと落ちる一枚の紙。 おなじみの「不在連絡票」です。

時刻を確認すると、つい30分前。 その時、私はリビングで本を読んでいました。 ちゃんと起きていたし、家の中で活動していた時間です。

負い目を感じる必要はないのかもしれませんが、聴覚障害があるため、静かな部屋の中で鳴り響いているはずの「ピンポーン」という音が、私の世界には届かないのです。

聴覚障害者は、通販の受け取りに結構困ってます


「できること」は全部やっているけれど

もちろん、何の対策もしていないわけではありません。 コンビニ受け取りや、PUDOステーションなどの宅配ロッカーが選べる時は、必ずそちらを指定します。クロネコメンバーズなどのサービスで事前に配達予定が分かれば、その時間はインターホン付近で神経を研ぎ澄ませたり、手元の通知をこまめにチェックしたりしています。

けれど、世の中のすべての荷物が「置き配」や「ロッカー受け取り」に対応しているわけではありません。 発送元が指定を許していなかったり、代金引換や貴重品、あるいはサイズの問題で、どうしても「対面での受け取り」が避けられない場合があります。

「この時間に届く」と分かっていても、ふとした瞬間に視線を外してしまったり、家事をしていて手元の振動に気づかなかったり。 そうしてドアを開けた瞬間に不在票を見つけると、胸がキュッとなります。

あの「暴言不在票」に感じたこと

以前、ネットで悲しいニュースが話題になりました。 耳の聞こえない方の家の不在票に、配達員が「ツ●ボだから不在(※実際は伏せ字なし)」と心ない言葉を書き残したという事件です。

もちろん、差別的な言葉は許されることではありません。 でも、私はそのニュースを見た時、怒りよりも先に「配達員さんの気持ちも、分からないではないな……」と思ってしまったのです。

重い荷物を抱えて、階段を上がって、チャイムを鳴らして。 「家の中に気配はするのに、何度鳴らしても出てこない」 そんな状況が続けば、人間だもの、イライラしてしまうこともあるでしょう。 その苛立ちをぶつけさせてしまうほど、私は彼らの仕事を邪魔してしまっているのではないか。 そう思うと、申し訳なさが募ります。

ただ聴覚障害者も悪気はないのですよ。だって自分が注文したものだから、自分自身が早く受け取りたいと思うじゃないですか。わざと居留守を使っているわけではないのですよ。

「居るのに出ていけない」ことが、一番申し訳ない

結局、問題は「居留守だと思われること」ではないのかもしれません。 むしろ、「家にいるのが分かっているのに、届いたことに気づけない」ことこそが、お互いにとって一番のストレスなんだと感じます。

「電気もついている、物音もする。それなのに、なぜ出てこないのか?」 そう思わせてしまうのが、本当に心苦しいのです。 わざと無視しているわけではない、あなたを待っていた。 でも、どれだけ意識していても、「音」という唯一の通知手段が私には届かない。

宅配業界の皆さんが、日々どれほど過酷な労働環境で働いているかは理解しているつもりです。 だからこそ、この「気づけない」という物理的な壁が、もどかしくて、申し訳なくてたまりません。

発送元にも考えてほしいこと

正直なところ、発送元で配達日時がしっかり指定できれば、こうしたすれ違いのほとんどは防げるはずです。 お店側にとっては手間のかかる作業かもしれませんが、それも商売の一部ではないでしょうか。届く時間がわかっていれば、私もそれなりの準備をして待つことができます。

最近では、あまりに日時指定が不自由な店だと「ここでは買うのをやめようかな」と自衛策を考えることさえあります。

「発送元、配達員、受け取り手」。 この三者のバランスがもっとうまく取れて、誰にとっても負担のない受け取り方が当たり前になればいいな。 そんなことを願いながら、今日も私は再配達の依頼ボタンを申し訳ない気持ちで押しています。

宅配便の配達員さん、いつも本当にありがとうございます。 そして、今日も気づけなくて、本当にごめんなさい。


家に居るけど気付けない、配達。私だって受け取りたい


2025年12月21日日曜日

補聴器を外せば「静寂」が訪れる、という誤解について

 「耳が聞こえにくいなら、補聴器を外せば静かになってぐっすり眠れるんでしょ?」

時々、そんな風に聞かれることがあります。 確かに、外からの音を遮断するという意味では、そう思うのも無理はありません。

でも、現実に訪れるのは、そんな穏やかな世界ではありません。 私の耳から補聴器を外した瞬間に広がるのは、「草原のような穏やかな静けさ」ではないのです。

重度難聴な人って、補聴器外しても静かじゃないんですよ


耳の中の「ジェット機」と「鉄道の高架下」

補聴器を外した私の世界は、静かどころか、むしろ「激しい騒音」に包まれています。

いわゆる「耳鳴り」なのですが、その音量は想像を絶するものです。 例えるなら、鉄道の高架下に立っているような、あるいはジェット機のエンジン音が間近で鳴り響いているような、そんな凄まじい爆音です。

そこに「工事現場の杭打機のような音」のような響きがガンガンと加わります。 何も聞こえないのではなく、耳の中だけで鳴り続ける止まない嵐。それが、補聴器を使っていないときの私の日常の正体です。

騒音の中でも、何とか外の音を聴くために

そんな騒音だらけの世界の中でも、何とか外の音を聴くために、私は補聴器をつけます。

補聴器をつけるとどうなるか。 耳の中の騒音が消えるわけではありません。

補聴器を通して入ってくる「外の音」が、耳の中で鳴り響く「内なる騒音」に打ち勝つことで、ようやく私の元に届くのです。 正確には、内側の音に負けないくらいの音量で、外の世界の音(人の声や街の音)を届けてくれている。そんな感覚です。

皮肉な話ですが、補聴器をつけて初めて、私は内側の激しい騒音の中で戦いながら、なんとか外の音を識別し、世界とつながることができるのです。

誰にも見えない「音の戦い」

「補聴器を外すと何も聞こえないんだから、静かでいいね」

そんな風に言われるような環境でも、私の頭の中では常に激しい音の戦いが行われています。

もし、あなたの周りに難聴の方がいて、ふと疲れた表情をしていたら。 それはもしかしたら、外からの音を聴く努力だけでなく、内側の激しい騒音と戦い続けているからかもしれません。

「聞こえない」ということは「静か」と同義ではない。 この少し不思議で、けれど切実な私の日常が、誰かの理解のきっかけになれば嬉しいです。


補聴器を外しても「静か」じゃないのよ